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菩薩

常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)とはどんな仏か|見分け方・ご利益

常不軽菩薩  / ジョウフキョウボサツ

救済 法華・天台

会う人すべてに手を合わせ続けたと説かれる、法華経の菩薩。

常不軽菩薩とはどんな仏か

常不軽菩薩をひとことで言えば礼拝だけを続けた菩薩です。『法華経』常不軽菩薩品に説かれます。

出会う人すべてに向かって手を合わせ、「わたしはあなたがたを軽んじません。あなたがたはやがて仏になる方だからです」と唱え続けたとされます。経を読むことも、坐って行に励むこともせず、ただそれだけを行いました。

その振る舞いを疎まれ、杖で打たれ、石を投げられました。それでも遠くへ離れ、なお声を張って礼拝を続けたと説かれます。打たれても止めなかったという一点に、この菩薩の話のすべてが懸かっています。

経の終わりで、この菩薩こそが釈迦の前の世の姿だったと明かされます。

常不軽菩薩の読み方と梵名

読みは「じょうふきょうぼさつ」です。「じょうふぎょう」と読む宗派もあります。

名は「常に軽んじない」という意味です。誰に対しても、その人のうちに仏となる性質があると見て、頭を下げ続けたことによります。

ところが梵名のほうは「常に軽んじられるもの」とも読める形で、漢訳と向きが逆になるという指摘があります。 どちらが本来かは決着していません。

常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)

もっとも広く使われる形。

常不軽(じょうふぎょう)

「ふぎょう」と読む場合もある。

不軽菩薩(ふきょうぼさつ)

「常」を省いた短い形。

常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)

この菩薩を説く法華経の章の名。

サダーパリブータ(Sadaparibhuta)

意味は「常に軽んじられるもの」。梵名は「軽んじられる側」と読める形で、漢訳の「軽んじない」と向きが逆になるという指摘がある。読みは「さだーぱりぶーた」。

常不軽菩薩の見分け方(印相・持ち物・姿)

合掌して頭を下げる姿のほかに、決まった目印はありません。彫像そのものが少ない菩薩です。

姿 ─ 合掌して礼拝する

描かれる場合は、僧の姿か菩薩の姿で両手を胸の前で合わせ、頭を下げます。

持ち物はありません。武器も法具も持たない点が、他の菩薩と大きく違います。

行いそのものが名になっている菩薩ですので、姿より、何をしているかで見ることになります。

場面 ─ 石を投げられる

絵に描かれるときは、遠くへ逃れながら礼拝する場面が選ばれます。まわりの人が杖を振り上げ、石を投げています。

教えの言葉ではなく、打たれている場面のほうが図として選ばれてきました。

この場面が、法華経のなかでもとりわけ人に語られやすい話であることを示しています。

作例 ─ 彫像がほとんど無い

独立した彫像はほとんど作られませんでした。堂の本尊に据えられる菩薩ではないためです。

法華経の各章を絵にした図の一場面として描かれるのが中心です。

寺で像を探すよりも、経の講話や絵解きのなかで名に出会うことのほうが多いでしょう。

常不軽菩薩のご利益

人を敬う心

誰に対しても頭を下げ続けたことによる。

志を貫く

打たれても礼拝をやめなかったことによる。

苦しみを耐える

迫害を受けながら行を続けたことによる。

常不軽菩薩に会える寺

常不軽菩薩だけを祀る堂は、日本では確かめられませんでした。

文化庁の国指定文化財等データベースでも、「常不軽」の名を持つ国指定の彫刻は確かめられませんでした。指定を受けた作例が無いということです。

像に会うのではなく、法華経を説く場で名を聞く菩薩だと考えたほうが正確です。 法華経の章立てを絵にした掛軸や、寺の絵解きのなかで登場します。

常不軽菩薩をめぐる仏のつながり

化身・同じ経典 三尊・脇侍・眷属 対になる仏 混同・見分け

常不軽菩薩の位階と、似た仏との違い

常不軽菩薩は菩薩の位に置かれます。釈迦の前の世の姿とされます。

仏には如来・菩薩・明王・天部という四つの位階があります。常不軽菩薩は菩薩にあたりますが、拝まれる対象というより、行いの手本として語られる菩薩です。

法華経では、この菩薩の行いがそのまま釈迦の前の世の修行として語られ、章の終わりで両者が同じ人物だと明かされます。

普賢菩薩 ─ どちらも法華経に説かれる

どちらも『法華経』に登場します。普賢菩薩は白象に乗り、経の終わりで教えを守ると誓う菩薩です。

見分けは容易です。普賢菩薩は像として数多く造られ、白象という決め手があります。常不軽菩薩には乗り物も持ち物もありません。

地涌の菩薩 ─ 同じ法華経の中の菩薩

どちらも法華経に説かれ、どちらも像がほとんど作られません。

地涌の菩薩は大地から涌き出た無数の群れで、名を持つのは上首の四人だけです。常不軽菩薩は一人で、名も行いもはっきりしています。

賓頭盧 ─ どちらも人に近い扱いを受ける

どちらも仏というより人に近い立場で語られます。

賓頭盧は堂の外に置かれてなでられる羅漢で、像が各地にあります。常不軽菩薩は像がほとんど無く、話として伝わってきました。

常不軽菩薩についてよくある質問

常不軽菩薩とはどんな菩薩ですか。

出会う人すべてに手を合わせ、「あなたはやがて仏になる方です」と唱え続けたと説かれる菩薩です。『法華経』常不軽菩薩品に出てきます。

常不軽の読み方は。

「じょうふきょう」です。宗派によっては「じょうふぎょう」と読みます。

なぜ打たれたのですか。

誰彼かまわず礼拝して回る振る舞いを、からかわれ疎まれたと説かれます。それでも遠くへ離れて礼拝を続けたとされます。

釈迦とどう関係しますか。

経の終わりで、この菩薩こそが釈迦の前の世の姿であったと明かされます。

常不軽菩薩の像はどこで見られますか。

像はほとんど作られていません。文化庁の国指定文化財等データベースでも、この名を持つ国指定の彫刻は確かめられませんでした。

常不軽菩薩と併せて覚えたい言葉・用語

但行礼拝(たんぎょうらいはい)

礼拝という一つの行いだけを続けること。

法華経(ほけきょう)

誰もが仏になれると説く経典。天台・日蓮の教えの中心。

仏性(ぶっしょう)

誰の中にもあるとされる、仏となる性質。