姿かたちを超えた真理そのものを、普賢の名で呼んだもの。
法身普賢とはどんな仏か
法身普賢の読み方と梵名
読みは「ほっしんふげん」です。「普賢王如来」と呼ぶときは「ふげんおうにょらい」と読みます。
法身は「ほっしん」と読み、「ほうしん」ではありません。仏の本体を指す語です。
梵名は普賢菩薩とまったく同じ「サマンタバドラ」です。 同じ名でありながら、日本では菩薩、チベットへ伝わった系統では根もとの仏として扱われてきました。
法身普賢(ほっしんふげん)
本体としての普賢を指す呼び方。
普賢王如来(ふげんおうにょらい)
如来として呼ぶ形。
本初仏(ほんしょぶつ)
すべての仏の根もとに置かれる仏という意味。
普賢如来(ふげんにょらい)
短く呼ぶ形。
サマンタバドラ(Samantabhadra)
意味は「あまねくよきもの」。「サマンタ」があまねく、「バドラ」がよいという意味。普賢菩薩とまったく同じ梵名。読みは「さまんたばどら」。
法身普賢の見分け方(印相・持ち物・姿)
装身具をいっさい着けないのが最大の目印です。日本の普賢菩薩とは正反対の姿になります。
身なり ─ 何も着けない
宝冠も瓔珞も腕釧も着けず、衣もまとわない姿で表されます。
飾りを取り去ることで、姿かたちを超えた本体であることを示しています。
日本の普賢菩薩は白象に乗り、宝冠と装身具を着けます。身なりを見れば、二つはすぐに分かれます。
色 ─ 深い青
体は深い青の色で描かれるのがふつうです。空の色にたとえられます。
果てのない広がりを色で表したものとされます。
日本の仏画に、この色づかいで描かれる尊格はほとんどありません。
双身 ─ 明妃と重なる
向き合った明妃と重なる形に描かれることが多くあります。
智慧とはたらきという二つが分かれていない状態を、二体が離れていない形で表したものとされます。
日本の密教ではこの形はほとんど採られず、歓喜天など限られた例があるだけです。
法身普賢のご利益
迷いを断つ
姿かたちを超えた本体を表すことによる。
智慧を得る
智慧とはたらきの一体を示すことによる。
救済
すべての仏の根もとに置かれることによる。
法身普賢に会える寺
法身普賢を祀る堂は、日本では確かめられませんでした。
文化庁の国指定文化財等データベースでも、「普賢王」の名を持つ国指定の彫刻は確かめられませんでした。日本の密教では、その位置に大日如来を置くためです。
日本で「普賢」といえば、白象に乗る普賢菩薩を指します。 法身普賢は、教えの組み立てを比べるときに出てくる名だと考えたほうが正確です。
絵として伝わるものが中心で、寺で像に会える尊格ではありません。
法身普賢をめぐる仏のつながり
法身普賢の位階と、似た仏との違い
法身普賢は如来として扱われます。普賢王如来という呼び方がそれを示します。
仏には如来・菩薩・明王・天部という四つの位階があります。普賢菩薩は菩薩ですが、法身普賢は如来の位に置かれます。
同じ梵名を持ちながら置かれる位階が違うという、たいへんめずらしい例です。 日本とチベットで、教えの組み立て方が分かれた結果です。
普賢菩薩 ─ 同じ梵名、違う位階
どちらも梵名はサマンタバドラです。日本の普賢菩薩は白象に乗り、宝冠と装身具を着ける菩薩です。
法身普賢は装身具を着けず、乗り物もありません。名は同じでも、姿も位階も別のものと考えてください。
大日如来 ─ 同じ位置を占める
どちらも、教えの本体を一体の仏として表したものです。日本の密教では大日如来がその位置に立ちます。
見分けは容易です。大日如来は宝冠と装身具を着け、智拳印を結びます。法身普賢は何も着けません。
金剛薩埵 ─ どちらも密教の根もとに近い
どちらも密教の系譜の始まりに近い場所に置かれます。
金剛薩埵は金剛杵と金剛鈴を持ち、装身具を着ける菩薩です。持ち物の有無で、はっきり分かれます。
法身普賢についてよくある質問
法身普賢とは何ですか。
姿かたちを超えた教えの本体を、普賢の名で呼んだ尊格です。普賢王如来ともいいます。
法身の読み方は。
「ほっしん」です。「ほうしん」ではありません。仏の本体を指す語です。
普賢菩薩とどう違いますか。
梵名は同じサマンタバドラですが、普賢菩薩は白象に乗る菩薩、法身普賢は装身具を着けない如来として扱われます。
日本ではどの仏がその位置にありますか。
大日如来です。日本の密教では、教えの本体を表す位置に大日如来を置きます。
法身普賢の像はどこで見られますか。
日本では確かめられませんでした。文化庁の国指定文化財等データベースにも、この名を持つ国指定の彫刻はありません。
法身普賢と併せて覚えたい言葉・用語
法身(ほっしん)
姿かたちを超えた、仏の本体。
本初仏(ほんしょぶつ)
すべての仏の根もとに置かれる仏。
明妃(みょうひ)
尊格と向き合って重なる形で描かれる相手。