胎蔵界曼荼羅の東をあずかり、旗を名に持つ如来。
宝幢如来とはどんな仏か
宝幢如来の読み方と梵名
読みは「ほうどうにょらい」です。「ほうしょう」ではありません。
宝生如来と字が似ているため取り違えられがちですが、別の仏です。宝生如来は金剛界の南、宝幢如来は胎蔵界の東にあたります。
「幢」は旗を意味する字で、寺の堂内に垂らす飾りの旗も同じ字で呼びます。名を聞いて武具を思い浮かべる必要はありません。
宝幢如来(ほうどうにょらい)
もっとも広く使われる形。
宝幢仏(ほうどうぶつ)
経典に多い形。
宝憧如来(ほうどうにょらい)
字を誤って写した形が伝わったもの。
ラトナケートゥ(Ratnaketu)
意味は「宝の旗」。「ラトナ」が宝、「ケートゥ」が旗を指す。読みは「らとなけーとぅ」。
宝幢如来の見分け方(印相・持ち物・姿)
曼荼羅の東の花びらに座っているかどうかで判じます。姿だけでは区別がつきません。
位置 ─ 中台八葉院の東
胎蔵界曼荼羅の中心、八枚の花びらの東にあたる一枚に座ります。
密教の図では上が西、下が東という約束が使われるため、東は図の下側にあたります。
地図の感覚とは向きが違うので、初めて見るときは戸惑います。位置で判じるのがもっとも確実です。
姿 ─ 恐れを取り除く印
坐像で表され、右手を上げて掌を前に向ける印を結ぶとされます。恐れを取り除くことを示す形です。
体の色は赤、あるいは日の出の色とされます。東から日が昇るように、道のりの始まりを色でも表しています。
持ち物はありません。如来の決まりどおりです。
割り当て ─ 発心
四方の四体には発心・修行・菩提・涅槃が割り当てられ、この仏は発心を受け持ちます。
発心とは、悟りを求める心を起こすことです。四つの段の出発点にあたります。
旗を先頭に立てて進むという名の意味が、この割り当てとよく合っています。
阿閦如来との重なり
金剛界五仏では、東を受け持つのが阿閦如来です。方角が同じことから、両者を同じ仏とみなす説があります。
ただし姿は違います。 阿閦如来は右手を下げて指先を台座に触れさせますが、宝幢如来は右手を上げます。
同じとみるか別とみるかは、どの経典に立つかで分かれます。
宝幢如来のご利益
心を起こす
発心を割り当てられていることによる。
恐れを除く
右手を上げる印を結ぶとされることによる。
先頭に立つ
旗を意味する名による。
宝幢如来に会える寺
宝幢如来だけを安置する堂は、日本では確かめられませんでした。
文化庁の国指定文化財等データベースでも、この名を持つ国指定の彫刻は確かめられませんでした。彫像そのものが作られてこなかった仏です。
会えるとすれば、堂に掛けられた胎蔵界曼荼羅の東の花びらの上ということになります。 図の下側、中心に近いところを探してください。
宝幢如来をめぐる仏のつながり
宝幢如来の位階と、似た仏との違い
宝幢如来は如来の位に置かれます。胎蔵界五仏の一体です。
仏には如来・菩薩・明王・天部という四つの位階があります。宝幢如来は最上位の如来にあたります。
胎蔵界曼荼羅では、中心の五仏を囲むように菩薩・明王・天部が幾重にも配されます。位階の順序が、そのまま同心円の配置になっています。
宝生如来 ─ 名が似ているが別の仏
字も読みも似ていますが、別の仏です。宝生如来は金剛界の南、宝幢如来は胎蔵界の東にあたります。
手の形も違います。宝生如来は右手を下げ、宝幢如来は右手を上げます。
阿閦如来 ─ どちらも東をあずかる
金剛界で東を受け持つのが阿閦如来です。同じ仏とみなす説があります。
見分けは右手です。 指先が台座に触れていれば阿閦如来、掌を前に向けて上げていれば宝幢如来です。
開敷華王如来 ─ 隣り合う花びら
どちらも胎蔵界五仏です。東が宝幢如来、南が開敷華王如来にあたります。
割り当ても隣り合います。 発心の次が修行です。名も旗と花で対になっています。
宝幢如来についてよくある質問
宝幢如来とはどんな仏ですか。
胎蔵界曼荼羅の中台八葉院で東を受け持つ如来です。軍の旗を意味する名を持ち、発心を割り当てられます。
宝生如来と同じですか。
違います。宝生如来は金剛界の南を受け持つ別の仏です。字が似ているため取り違えられがちです。
どう見分けますか。
姿だけでは区別がつきません。胎蔵界曼荼羅の東の花びらに座っているかどうかで判じます。
阿閦如来と同じ仏ですか。
同じとみなす説があります。方角がどちらも東だからです。ただし手の形が違い、別とみる立場もあります。
宝幢如来の像はどこで見られますか。
文化庁の国指定文化財等データベースでも、この名を持つ国指定の彫刻は確かめられませんでした。
宝幢如来と併せて覚えたい言葉・用語
幢(どう)
軍が掲げる旗。堂内に垂らす飾りの旗も同じ字で呼ぶ。
施無畏印(せむいいん)
右手を上げ掌を前に向ける印。恐れを取り除くことを示す。
発心(ほっしん)
悟りを求める心を起こすこと。