五十六億七千万年後に現れて人を救うと約束された、次の仏。
弥勒菩薩とはどんな仏か
弥勒菩薩はひとことで言えば次に仏になることが決まっている菩薩です。
今は兜率天という天上の世界にいて修行を続けています。釈迦が世を去ってから五十六億七千万年後に地上へ降り、竜華樹の下で悟りを開き、三度の説法で人々を救うと説かれます。
この仏には、日本の信仰のうえで二つの向きがあります。一つは、自分が死んだあとに兜率天へ生まれてこの菩薩に会いたいと願う上生信仰。もう一つは、この菩薩が地上へ降りるその時に立ち会いたいと願う下生信仰です。
菩薩と如来の両方の姿で造られるという珍しい仏でもあります。今はまだ菩薩、しかし仏になることは決まっている。その途中にいることが、造形の揺れとして表れています。
弥勒菩薩の読み方と梵名
読みは「みろくぼさつ」です。梵名のマイトレーヤは「慈しみ」を意味する語から作られた名で、これを音で写したのが「弥勒」、意味で訳したのが「慈氏」です。
如来の姿で造られた像は「弥勒仏」と呼ばれます。同じ仏が、菩薩とも如来とも呼ばれるのはこの仏だけです。
弥勒菩薩(みろくぼさつ)
もっとも広く使われる形。
弥勒仏(みろくぶつ)
如来の姿で造られたときの呼び方。興福寺北円堂の像はこの名で国宝に登録される。
弥勒如来(みろくにょらい)
弥勒仏と同じ。
慈氏菩薩(じしぼさつ)
梵名を意味で訳した形。「慈しみを姓とする者」の意。
弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)
片足を組み、指を頬に添えて考えこむ姿の像。
マイトレーヤ(Maitreya)
意味は「慈しみから生まれた者」。読みは「まいとれーや」。「弥勒」はこれを音で写したもの。
弥勒菩薩の物語
兜率天で待つ未来仏 ─ 今は菩薩、次は仏
弥勒は、釈迦の次にこの世で悟りを開く未来仏とされます。ただし現在はまだ地上に現れず、兜率天で時を待つ菩薩です。
このため造像には二つの時間が表れます。現在の姿なら冠や装身具を着けた弥勒菩薩、未来に悟った姿なら装身具を外した弥勒仏です。
「菩薩なのか如来なのか」は表記の揺れではなく、どの時点を像にしたかの違いです。広隆寺の半跏像と興福寺北円堂の弥勒仏を見比べると、この差が分かります。
五十六億七千万年後 ─ 上生と下生という二つの願い
東京国立博物館は、弥勒が釈迦の入滅から五十六億七千万年後にこの世へ生まれ、悟りを開いて人々を救うと説明しています。
その時を待つ信仰は二方向に展開しました。死後に兜率天へ生まれて弥勒に会おうとする上生信仰と、未来に弥勒が地上へ降る場に立ち会おうとする下生信仰です。
数字だけを奇抜な予言として切り取るのではなく、釈迦のいない長い時代にも救いが約束されているという信仰の構造を読むことが重要です。
半跏思惟像は何を表す? ─ 尊名を姿だけで断定しない
片足をもう一方の膝へ載せ、指を頬に近づけて思索する姿を半跏思惟と呼びます。日本では弥勒菩薩として信仰された作例が多く、広隆寺像が代表です。
しかし、同じ姿勢だけで尊名を一律に決めることはできません。中宮寺像の国の指定名は「木造菩薩半跏像」で、寺伝では如意輪観音とされます。
像を判定するときは、姿勢だけでなく、宝冠の標識、持ち物、安置された堂、寺伝、文化財の指定名を合わせます。見た目の似ている像を同じ仏へ機械的にまとめないことが、仏像鑑賞の基本です。
弥勒菩薩の見分け方(印相・持ち物・姿)
弥勒菩薩の見分けは、姿勢と宝冠の中身の二つで行います。
姿勢 ─ 半跏思惟という考えこむ形
日本でいちばん名高いのが半跏思惟の姿です。
右足を左の膝の上に乗せ、右手の指を軽く頬に添えて、うつむき加減に考えこみます。腰を落とした台に腰かけ、左足は下ろしたままです。
何を考えているかというと、どうすれば人々を救えるかを思案しているとされます。まだ仏になっていない、途中の姿です。
この形はもともと弥勒だけのものではありませんが、日本では弥勒菩薩の代表的な姿として定着しました。
宝冠 ─ 塔をいただく
持ち物 ─ 水瓶または何も持たない
持ち物は決まっていません。水瓶を持つ像、蓮華を持つ像、何も持たない像があります。
半跏思惟像では、右手は頬に添えているので何も持ちません。左手は足首に軽く触れるか、膝の上に置かれます。
持ち物で見分けにくい仏なので、姿勢と冠を先に見るのが早道です。
如来の姿 ─ 弥勒仏として造られる
如来の姿で造られると、装身具はいっさい無くなります。螺髪の頭に衣を一枚、坐して手は印を結びます。
興福寺北円堂の像がその代表で、運慶が晩年に一門を率いて造った弥勒仏坐像として国宝に指定されています。
この姿になると、外見だけでは釈迦如来とほとんど区別がつきません。堂の名や寺の伝えで判じることになります。
弥勒菩薩のご利益
未来の救い
地上に降りて人々を救うという約束による。
所願成就
兜率天に生まれることを願う上生信仰から。
厄除け
弥勒信仰が末法の世を越えるための拠りどころとされたことによる。
弥勒菩薩に会える寺
半跏思惟の菩薩像、装身具を備えた菩薩像、如来形の弥勒仏という異なる造形を比較できる寺を選んでいます。
寺へ行けば常に像を見られるとは限りません。北円堂のように公開期間が限られる例もあるため、拝観前に寺院または自治体の最新案内を確認してください。
広隆寺 霊宝殿(こうりゅうじ れいほうでん)
国宝(指定番号 彫刻第一号)
国宝彫刻の第一号です。文化庁の国指定文化財等データベースでも指定番号は00001、国宝の指定は昭和二十六年六月九日と記録されています。
材質・制作地・工人については研究が続いています。造形の系譜を朝鮮半島の作例と比較する議論がありますが、制作地を一つに確定した像としては扱いません。
同じ寺の木造十二神将立像、木造阿弥陀如来坐像なども国宝。
中宮寺 本堂(ちゅうぐうじ)
国宝
半跏思惟の姿をとる像です。寺に伝わる呼び名は如意輪観音で、国の指定名も「木造菩薩半跏像(伝如意輪観音)」となっています。
ただし半跏思惟像が日本で弥勒として信仰された例は多く、この像も弥勒と紹介されることがあります。国の指定名は尊名を確定せず、寺伝では如意輪観音とするという二つの情報を分けて読む必要があります。
黒く艶のある肌は、もとの彩色が失われて漆の下地が現れたものです。
法隆寺の東院伽藍に隣接する。
興福寺 北円堂(こうふくじ ほくえんどう)
国宝
運慶が晩年に一門を率いて造った像です。如来の姿をとるため、装身具はありません。
北円堂は普段は閉じられており、春と秋の限られた期間だけ扉が開きます。
同じ堂には、運慶の父にあたる康慶の系統をひく無著・世親の立像が並び、こちらも国宝です。
北円堂の木心乾漆四天王立像も国宝。
弥勒菩薩をめぐる仏のつながり
弥勒菩薩の位階と、似た仏との違い
弥勒は菩薩の位に置かれます。ただし弥勒仏として造られた像は、扱いのうえでは如来にあたります。
菩薩は、悟りを開く力がありながら、人を救うためにあえてこの世にとどまる者を指します。装身具を着けるのは、出家する前の王子の身なりを保っているためです。
弥勒菩薩はそのなかで次に仏になることが定まった者という特別な位置にあります。この位を一生補処といいます。
如意輪観音 ─ 同じ半跏思惟の姿
どちらも頬に指を添えて考えこむ姿をとるため、混同されてきました。中宮寺の像はその代表です。
腕の数で分かれます。 如意輪観音は六本の腕を持つ坐像がほとんどで、宝珠と法輪を握ります。弥勒の半跏思惟像は腕が二本で、持ち物もありません。
釈迦如来 ─ 弥勒仏として造られると見分けにくい
如来の姿で造られた弥勒仏は、外見が釈迦如来とほとんど同じです。
堂の名や寺の伝えで判じるしかありません。興福寺北円堂、當麻寺金堂のように、その堂の本尊が弥勒であることが伝わっている場合に限られます。
地蔵菩薩 ─ 受け持つ時間が違う
この二つは、時間のうえで隣り合っています。
釈迦が去ってから弥勒が現れるまでの仏のいない長い期間を受け持つのが地蔵菩薩、その期間が終わったときに現れるのが弥勒菩薩です。
姿はまったく違います。地蔵菩薩は僧形で錫杖と宝珠を持ちます。
弥勒菩薩についてよくある質問
弥勒菩薩はどんな仏ですか。
次に仏になることが決まっている菩薩です。釈迦が世を去ってから五十六億七千万年後に地上へ降り、人々を救うと説かれます。
弥勒菩薩と弥勒仏は違う仏ですか。
同じ仏です。まだ修行中の姿で造れば弥勒菩薩、未来に仏となった姿で造れば弥勒仏(弥勒如来)になります。
半跏思惟の像はすべて弥勒菩薩ですか。
いいえ。中宮寺の像のように如意輪観音として伝わるものもあります。姿だけで名を決められない点が、この形の難しいところです。
国宝第一号の仏像はどれですか。
京都の広隆寺に伝わる木造弥勒菩薩半跏像です。文化庁の国指定文化財等データベースで、彫刻の指定番号00001として登録されています。
弥勒菩薩の見分け方は何ですか。
頬に指を添えて考えこむ半跏思惟の姿がいちばんの手がかりです。宝冠に小さな塔が付いている像もあります。
弥勒菩薩と併せて覚えたい言葉・用語
半跏思惟(はんかしゆい)
片足を膝に組み、指を頬に添えて考えこむ姿勢。
兜率天(とそつてん)
弥勒菩薩が今いる天上の世界。
一生補処(いっしょうふしょ)
次に仏になることが定まった菩薩の位。
竜華樹(りゅうげじゅ)
弥勒が地上へ降りたとき、その下で悟りを開くとされる樹。
末法(まっぽう)
仏の教えが力を失うとされる時代。弥勒信仰が広まる背景になった。
弥勒菩薩の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。