光をあまねく照らす仏。奈良の大仏がこの仏にあたる。
毘盧遮那仏とはどんな仏か
毘盧遮那仏はひとことで言えば奈良の大仏です。名は「あまねく照らすもの」を意味し、盧舎那仏とも書きます。
この仏を説くのが華厳経です。世界そのものがこの仏の体であると考え、一本の毛のなかにも無数の世界が含まれると説きます。ひとつの物とすべての物が互いに映し合っている、という見方です。
聖武天皇がこの仏の像を造ろうと決めたのは、天平の世に疫病と飢饉と戦乱が重なったためでした。詔には、国じゅうの人が一枝の草、一握りの土を持ち寄って造れという意味の言葉が記されています。
巨大であること自体に意味がある仏です。世界のすべてを体とする仏を表すには、それにふさわしい大きさが要るという考え方がここにあります。
毘盧遮那仏の読み方と梵名
読みは「びるしゃなぶつ」です。「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」と略すことも多く、東大寺の公式の説明では盧舎那仏の表記が使われます。
梵名のヴァイローチャナは光に由来し、「輝くもの」「あまねく照らすもの」と説明されます。大日如来もこの語にさかのぼりますが、密教で教理と像の姿が展開した仏です。日本の仏像では、毘盧遮那仏と大日如来を同じ像として扱わず、経典・印相・装身具を見て区別します。
毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)
音を漢字に写した形。
盧舎那仏(るしゃなぶつ)
略した形。東大寺の公式の説明もこの表記を用いる。
奈良の大仏(ならのだいぶつ)
東大寺金堂の像の通称。
華厳の教主(けごんのきょうしゅ)
華厳経で説かれる中心の仏であることを指す。
ヴァイローチャナ(Vairocana)
意味は「あまねく照らすもの」。読みは「ゔぁいろーちゃな」。大日如来の梵名と同じ語にあたる。
毘盧遮那仏の物語
聖武天皇の発願 ─ 一人の権力だけで造らない大仏
8世紀の日本では、疫病や飢饉、政情不安が続きました。聖武天皇は国の安寧を願い、743年に盧舎那大仏を造る詔を出します。
詔が強調したのは、権力や財力だけで完成させるのではなく、一枝の草や一握りの土でも、造立に加わりたい者の力を集めるという考えでした。大仏は国家事業であると同時に、多くの人の参加によって仏との縁を結ぶ事業として構想されます。
巨大さは天皇の力を見せるだけのものではなく、国土と人々を一つの仏の世界へ包み込む願いを形にしたものです。
752年の開眼供養 ─ 大仏に目を入れる
東大寺の大仏は、751年に完成した大仏殿へ納められ、752年に開眼供養が行われました。開眼は、完成した像の眼に筆を入れ、礼拝の対象として仏を迎える儀式です。
毘盧遮那仏は、華厳経で世界をあまねく照らす仏として説かれます。東大寺の大仏では、その思想が大きな像だけでなく、台座の蓮弁に刻まれた無数の世界にも表されています。
目の前の一体だけを見るのではなく、一枚の蓮弁からさらに多くの世界へ視線を広げることが、この像を読む要点です。
二度の兵火と再建 ─ 一つの時代だけでできていない
東大寺の大仏と大仏殿は、1180年と1567年の兵火で大きな被害を受けました。そのたびに修理と再建が重ねられ、現在の大仏殿は1709年に完成した建物です。
大仏も創建時の姿がそのまま残るのではありません。台座など奈良時代の部分、鎌倉時代以降に補われた部分が一体の像をつくっています。
現在の大仏は、失われても再び造ろうとした各時代の人々の営みまで含む文化財です。「奈良時代の像」と一言で終えず、どの部分がどの修理を経たかを見ることで、歴史の厚みが分かります。
毘盧遮那仏の見分け方(印相・持ち物・姿)
毘盧遮那仏の見分けは、大日如来と分けられるかどうかにかかっています。
装身具 ─ 冠をかぶらない
毘盧遮那仏は、ほかの如来と同じく冠も瓔珞も着けません。頭は螺髪で覆われ、衣を一枚まとうだけです。
同じ梵名を持つ大日如来は冠と飾りを着けます。装身具の有無が、日本におけるこの二つの仏の分かれ目です。
東大寺の大仏を見て「冠が無い」と気づけば、それが毘盧遮那仏である証拠になります。
印相 ─ 施無畏印と与願印
東大寺の大仏は、右手を上げて掌を正面に向け、左手を膝の上で掌を上に向けます。施無畏印と与願印です。
指で輪はつくらず、智拳印も結びません。手の形だけを見れば釈迦如来と同じで、手では釈迦如来と区別がつきません。区別は台座と光背、そして像の規模で判じます。
台座 ─ 蓮弁に刻まれた世界
毘盧遮那仏の見分けで、いちばん確かなのが台座です。
東大寺の大仏の蓮弁には、線刻で無数の世界が刻まれています。一枚の蓮の花びらの上に世界があり、そのなかにさらに小さな世界がある。華厳経の世界観が、そのまま図になって台座に彫られています。
唐招提寺金堂の盧舎那仏では、光背に八六二躯の小さな化仏が並びます。数の多さで「あまねく」を表す手法です。
大きさ ─ 数字で見る
東大寺の大仏は、東大寺自身が公表している数字で像高14.98メートルです。顔の長さ5.33メートル、耳の長さ2.54メートル、鼻の高さ0.50メートル、台座の高さ3.05メートルとされます。
堂も大きく、東西57.012メートル、南北50.480メートル、高さ48.742メートルです。ただし創建時の大仏殿は今より横に広く、桁行十一間(約88メートル)ありました。江戸時代の再建で七間に縮められています。
毘盧遮那仏のご利益
国家安泰
聖武天皇が国の安寧を願って造らせたことによる。
所願成就
世界のすべてを体とする仏であることから、願いごと全般を受けるとされる。
厄除け・災難除け
疫病と飢饉のさなかに造像が発願された経緯による。
毘盧遮那仏に会える寺
毘盧遮那仏を本尊とする寺は、華厳宗と律宗の寺に多く見られます。東大寺と唐招提寺がその代表です。
ここに挙げたのは、その寺が所有していることを文化庁の国指定文化財等データベース、または寺の公式サイトで確かめられた像だけです。
東大寺 大仏殿(金堂)(とうだいじ だいぶつでん)
国宝/世界遺産
奈良の大仏として知られる像です。像高は寺の公表で14.98メートルあります。
天平の創建後、治承と永禄の二度の兵火で堂を失い、そのたびに再建されました。現在の像は各部の時代が異なり、台座の蓮弁など創建当時の部分が一部に残ります。
大仏殿は江戸時代の再建で、木造建築としては世界最大級です。
大仏殿は国宝、像も国宝。堂と像が別々に指定されている。
毘盧遮那仏をめぐる仏のつながり
毘盧遮那仏の位階と、似た仏との違い
毘盧遮那仏は如来の位に置かれます。
華厳経では、この仏がいちばん上に来ます。釈迦如来はこの仏があらわれた姿の一つと説かれます。
どの経典を読むかで、どの仏が頂点に立つかが変わるという点は、仏像を見るうえで押さえておくと混乱が減ります。華厳では毘盧遮那仏、法華では釈迦如来、密教では大日如来、浄土教では阿弥陀如来が中心に来ます。
大日如来 ─ 同じ語源を持つが、教理と像の姿で区別する
梵名はどちらもヴァイローチャナにさかのぼります。大日如来は密教で中心仏として展開したため、同じ語源だけを理由に二つを同一の像とは扱いません。
日本では造り分けられました。冠と装身具を着けるのが大日如来、着けないのが毘盧遮那仏です。
手の形も違います。大日如来は智拳印か法界定印、毘盧遮那仏は施無畏印と与願印を結びます。
釈迦如来 ─ 手が同じなので、台座で見る
手の形が同じため、印相では区別できません。
台座の蓮弁に線刻の世界図があるかどうか、また像が桁外れに大きいかどうかで判じます。毘盧遮那仏は「世界そのもの」を表すため、大きく造られる傾向があります。
鎌倉の大仏 ─ 大仏がすべて毘盧遮那仏とは限らない
「大仏」は大きさを言う言葉であって、仏の名ではありません。
奈良の大仏は毘盧遮那仏ですが、鎌倉の大仏は阿弥陀如来です。文化庁の国指定文化財等データベースでも「銅造阿弥陀如来坐像」の名で登録されています。
見分けは手です。鎌倉の大仏は膝の上で指の輪をつくっています。
毘盧遮那仏についてよくある質問
毘盧遮那仏はどんな仏ですか。
華厳経で説かれる、世界そのものを体とする如来です。名は「あまねく照らすもの」を意味します。奈良の大仏がこの仏です。
奈良の大仏の大きさはどれくらいですか。
東大寺が公表している数字で、像高14.98メートル、顔の長さ5.33メートル、耳の長さ2.54メートル、台座の高さ3.05メートルです。
毘盧遮那仏と大日如来は同じ仏ですか。
どちらもヴァイローチャナという語にさかのぼりますが、大日如来は密教で展開した仏です。日本の像では、冠と装身具を着ける大日如来と、如来形の毘盧遮那仏を区別します。
奈良の大仏と鎌倉の大仏は同じ仏ですか。
違います。奈良の大仏は毘盧遮那仏、鎌倉の大仏は阿弥陀如来です。「大仏」は大きさを指す言葉で、仏の名ではありません。
大仏の台座には何が彫られていますか。
蓮の花びらに、線刻で無数の世界が描かれています。ひとつの世界のなかにさらに世界があるという、華厳経の考え方を図にしたものです。
毘盧遮那仏と併せて覚えたい言葉・用語
華厳経(けごんきょう)
毘盧遮那仏を中心に据える経典。すべての物が互いに映し合うと説く。
脱活乾漆(だっかつかんしつ)
粘土で原型を作り、麻布と漆を重ねたあと中の土を抜く技法。奈良時代に多い。
化仏(けぶつ)
仏が分かれてあらわれた小さな仏の像。光背や宝冠に配される。
蓮弁(れんべん)
蓮華座を構成する花びら。東大寺の大仏では線刻で世界が描かれる。
大仏(だいぶつ)
大きな仏像を指す言葉。特定の仏の名ではない。
毘盧遮那仏の参考資料
この記事は、以下の公的・学術資料をもとに構成しています。