実在した中国の僧。大きな袋を担ぐ、七福神の一人。
布袋とはどんな仏か
布袋をひとことで言えば実在した僧です。七福神のうち、ただ一人の実在の人物とされます。
中国の唐の末に生きた契此という僧が、その人です。大きな布の袋を担いで町を歩き、乞われるままに袋の中の物を与えたと伝えられます。名の「布袋」は、この袋から来ています。
決まった住まいを持たず、雪の上に寝ても濡れなかった、天気を言い当てたといった話が残ります。
死のまぎわに「弥勒真弥勒」という言葉を書き残しました。そこから、この僧は弥勒菩薩の化身だったと語られるようになります。
日本へは禅宗の水墨画の題材として伝わりました。太鼓腹をさらけ出して笑う姿は、悟りの自在さを描くのに好都合だったのです。
のちに七福神に加えられ、福の神として親しまれました。国が指定した彫刻は確かめられませんでした。
布袋の読み方と梵名
読みは「ほてい」です。
「布袋」は担いでいた布の袋から来ています。名前ではなく、あだ名がそのまま通り名になったものです。
実在した僧としての名は契此といいます。仏像の名でありながら、もとは一人の人間の名だという点で、ほかの尊格とまったく事情が違います。
布袋(ほてい)
もっとも広く使われる形。
布袋和尚(ほていおしょう)
僧であることを添えた呼び方。
布袋尊(ほていそん)
七福神としての呼び方。
契此(かいし)
実在した僧としての名。
長汀子(ちょうていし)
契此の号と伝えられる。
マイトレーヤ(Maitreya)
意味は「慈しみから生まれたもの」。弥勒菩薩の原語。布袋を弥勒の化身とする説による。布袋は中国の実在の人物のため、固有の梵名はない。読みは「まいとれーや」。
布袋の見分け方(印相・持ち物・姿)
布袋の見分けは、袋と太鼓腹にあります。ただし大黒天も袋を担ぐため、そこだけは注意が要ります。
袋 ─ 大きな布の袋
大きな布の袋を担ぐか、傍らに置きます。これがこの尊格の名の由来です。
袋の中には、乞われれば何でも出てくるとされました。
大黒天も袋を担ぎます。 見分けは頭です。大黒天は頭巾をかぶり、打出の小槌を持ちます。布袋は頭を丸め、小槌を持ちません。
腹 ─ 大きくさらけ出す
太鼓腹を衣からさらけ出します。腹を隠さないのが決まりです。
仏像は体つきを理想の形に整えるのがふつうです。腹をたるませて彫るという発想は、羅漢像と布袋にしかありません。
体を隠さないことが、そのまま「とらわれのなさ」を表しています。
顔 ─ 口を開けて笑う
口を大きく開けて笑います。目は細め、眉は垂れます。
笑う仏像はほとんどありません。如来も菩薩も口を結び、明王は怒り、天部は睨みます。
声を出して笑っている像は、日本の仏像でこの布袋がほぼ唯一です。 見分けの決め手になります。
姿勢 ─ 座り方が自由
座り方に決まりがありません。片膝を立てる、あぐらをかく、袋にもたれかかるなど、作例によってさまざまです。
蓮華座に正しく座る形はまず見られません。
姿勢の自由さそのものが、この尊格の性格を表しています。 決まりに縛られない姿が、禅宗の画家に好まれました。
布袋のご利益
福徳
七福神の一人であることによる。
商売繁盛
袋から物を与えたという伝えによる。
家庭円満
笑う姿にちなむ。
子宝
子どもたちに囲まれた姿で描かれることによる。
布袋に会える寺
布袋の像で、国が指定したものは確かめられませんでした。 文化庁の国指定文化財等データベースで「布袋」を検索しても、彫刻の該当がありません。
これは像が無いという意味ではありません。禅宗の寺には広く祀られています。 黄檗宗の寺では、山門を入ってすぐの堂に大きな布袋の坐像を置くのが決まりです。
ただしそれらの像について、国の指定と所有者を公式の情報から確かめることができませんでした。 そのためこの欄には入れていません。
七福神めぐりの札所として布袋を祀る寺も各地にあります。この欄は空のままにしておきます。 確かめられないものを、それらしい寺で埋めることはしません。
布袋をめぐる仏のつながり
布袋の位階と、似た仏との違い
布袋は天部の枠に置かれます。ただしこれは便宜の分類です。
仏には如来・菩薩・明王・天部という四つの位階があります。布袋はこのどれにも当てはまりません。
実在した中国の僧であり、インドの経典に根拠を持ちません。七福神という日本の枠組みに入れられた結果、天部と並べて扱われるようになりました。
弥勒菩薩の化身とする説をとるなら菩薩に置くべきですが、姿も由来も菩薩とはかけ離れています。位階の分類はあくまで便宜のものです。
大黒天 ─ どちらも袋を担ぐ
もっとも間違えやすい相手です。どちらも大きな袋を担ぎ、七福神に数えられます。
見分けは頭と持ち物です。大黒天は頭巾をかぶり、打出の小槌を持ちます。 布袋は頭を丸め、小槌を持ちません。
体つきも違います。大黒天は米俵の上に立ち、布袋は座って腹をさらけ出します。
弥勒菩薩 ─ 化身とする説がある
布袋が死のまぎわに「弥勒真弥勒」と書き残したことから、弥勒菩薩の化身とされるようになりました。
姿はまったく違います。弥勒菩薩は頬に指を添えて考えこむ端正な姿、布袋は腹を出して笑う姿です。
同じ仏の別の姿とするには、あまりに隔たりがあります。中国で生まれた説だという点を押さえておくのがよいでしょう。
十六羅漢 ─ 人間を彫るという点で共通
どちらも人間を像にしたものです。仏でも菩薩でもありません。
そのため、どちらも老いや体つきをありのままに彫ります。皺、たるみ、痩せ。理想の姿ではなく実際の体を彫るという点で、この二つは同じ系統にあります。
十六羅漢は釈迦の弟子、布袋は唐の僧という違いがあります。
布袋についてよくある質問
布袋とはどんな仏ですか。
中国の唐の末に生きた契此という実在の僧です。大きな布の袋を担いで町を歩き、乞われるままに物を与えたと伝えられます。
布袋は七福神の一人ですか。
そうです。七福神のうち、ただ一人の実在の人物とされます。
布袋と大黒天はどう見分けますか。
頭と持ち物を見ます。大黒天は頭巾をかぶり打出の小槌を持ちます。布袋は頭を丸め、小槌を持たず、腹をさらけ出して笑います。
なぜ弥勒菩薩の化身とされるのですか。
死のまぎわに「弥勒真弥勒」という言葉を書き残したためです。中国で生まれた説で、姿は弥勒菩薩とまったく違います。
布袋の像はどこで見られますか。
国が指定した彫刻は確かめられませんでした。禅宗、とくに黄檗宗の寺には広く祀られていますが、所有者と指定を公式の情報から確かめられませんでした。
布袋と併せて覚えたい言葉・用語
契此(かいし)
布袋の実在の名。中国の唐の末の僧。
七福神(しちふくじん)
福をもたらす七体の神。布袋はそのひとり。
黄檗宗(おうばくしゅう)
禅宗の一派。山門近くの堂に布袋を祀る。
水墨画(すいぼくが)
墨一色で描く絵。布袋は好まれた題材のひとつ。