本文へ移動

天部

天魔(てんま)|第六天魔王とはどんな仏か|見分け方・ご利益

第六天魔王  / テンマ

忿怒 インド由来

釈迦の悟りをさまたげようとした者。欲界のいちばん上に住むとされる。

天魔とはどんな仏か

天魔をひとことで言えば釈迦の悟りをさまたげようとした者です。第六天魔王ともいいます。

欲界の天は六つに分かれ、そのいちばん上が他化自在天です。天魔はその主とされます。梵名をマーラといい、音で写して波旬とも書きます。

釈迦が悟りを開こうとしたとき、軍勢を差し向け、娘を送り、脅しと誘いの両方でさまたげようとしたと説かれます。それを退けて悟りに至った場面を降魔といいます。 釈迦如来が右手を下ろして大地に触れる姿は、このときの形です。

魔とは、人の心が道を求めるのをさまたげる働きそのものを指します。 外にいる敵ではなく、心の内に起こるものとして説かれてきました。

天魔の読み方と梵名

読みは「てんま」です。「第六天魔王」は「だいろくてんまおう」と読みます。

「第六天」は欲界の六つの天のうち、いちばん上にあたる他化自在天のことです。他化自在天そのものは天の名で、そこに住む主が天魔と呼ばれます。

「波旬」は梵名マーラの音を写したもので、字そのものに意味はありません。

天魔(てんま)

もっとも広く使われる形。

第六天魔王(だいろくてんまおう)

住む天の位置を示す形。

波旬(はじゅん)

梵名の音を漢字に写した形。

魔王(まおう)

短く呼ぶ形。

マーラ(Mara)

意味は「殺すもの、さまたげるもの」。道を求める心をさまたげる働きを指す語。読みは「まーら」。

天魔の見分け方(印相・持ち物・姿)

像そのものがきわめてまれです。降魔の場面の一部として描かれるのが、ほとんど唯一の会い方です。

姿 ─ 決まった形がない

天魔には、定まった姿がありません。 如来や菩薩のように、印相や持ち物の決まりが立てられていないのです。

さまたげる働きそのものを指す語であるため、形にしにくい対象だったと考えられます。

姿が決まらないという点が、そのままこの尊格の性格を表しています。

場面 ─ 降魔の絵のなかで

釈迦の生涯を描いた絵のなかで、悟りをさまたげる場面に現れます。

軍勢を率いる王の姿、あるいは娘を差し向ける姿として描かれます。

単独で描かれることはなく、必ず釈迦と対になって表されます。 相手があって初めて成り立つ存在です。

触地印とのつながり

釈迦如来が右手を下ろして大地に触れる手の形を触地印といいます。

天魔が「お前に悟る資格があるという証人はいるか」と問うたとき、釈迦が大地に触れて地天を呼び出したという場面の形です。

各地の寺にある触地印の釈迦如来像は、すべて天魔を退けた瞬間を写しています。

日本での広がり

日本では、中世に魔を統べる者として語られました。仏の教えを妨げる大きな力として、物語や書き物に名が出ます。

第六天の名を冠した堂や場も各地に設けられました。

ただし像として彫られる例はほとんどありません。 名が広まったわりに、姿が伴わなかった尊格です。

天魔のご利益

迷いを知る

心をさまたげる働きを示すことによる。

誘いを断つ

釈迦が退けた場面によるとされる。

道心を守る

降魔の物語によるとされる。

天魔に会える寺

天魔の像を安置する寺は確かめられませんでした。

文化庁の国指定文化財等データベースを調べても、天魔または第六天魔王の名を持つ国指定の彫刻は見つかりません。さまたげる働きそのものを指す語であるため、そもそも像として彫る対象になりにくかったと考えられます。

会いたければ、釈迦の生涯を描いた絵のなかで探すことになります。悟りをさまたげる場面に、軍勢を率いる姿で描かれます。

もうひとつの道は、触地印の釈迦如来像を訪ねることです。右手を下ろして大地に触れる手の形は、天魔を退けた瞬間そのものを写しています。像のなかに天魔は現れませんが、その手の形は天魔がいなければ生まれませんでした。

天魔をめぐる仏のつながり

天魔の位階と、似た仏との違い

天魔は天部の位に置かれます。欲界の第六天の主とされます。

仏には如来・菩薩・明王・天部という四つの位階があります。天魔は天部に数えられます。

ただし、ほかの天部とは立ち位置が違います。天部の多くは仏を守る側に回りましたが、天魔は最後まで妨げる側に留まりました。 守る側へ移らなかった数少ない例です。

大自在天 ─ どちらも天の主

どちらも天の主とされます。大自在天は色界の頂、天魔は欲界の頂に住むとされます。

大自在天は降三世明王に踏まれる姿で表され、仏に従わされた側に描かれます。天魔にはそうした像がありません。

踏まれる姿すら作られなかったという点が、天魔の扱いを物語っています。

阿修羅 ─ どちらも仏と争った

どちらも仏や天と争った経歴を持ちます。阿修羅はのちに仏法を守る側へ移り、八部衆の一員になりました。

天魔は移りませんでした。ここが二体を分ける点です。

奈良の興福寺には国宝の乾漆八部衆立像八躯が伝わり、阿修羅もその一員です。天魔の国指定の彫刻は確かめられませんでした。

獄卒 ─ どちらも人を苦しめる側

どちらも人を苦しめる側に置かれます。獄卒は地獄で罪人を責め、天魔は道を求める心をさまたげます。

違いは場所と相手です。獄卒は死後の世界で働き、天魔は生きている者の心に働きかけます。

獄卒には神奈川の円応寺に重要文化財の像がありますが、天魔の像は確かめられませんでした。

天魔についてよくある質問

天魔と第六天魔王は同じですか。

同じものです。欲界の六つの天のうちいちばん上にあたる他化自在天の主とされるため、第六天魔王と呼ばれます。

天魔の像はどこで見られますか。

文化庁の国指定文化財等データベースでは、天魔・第六天魔王の名を持つ国指定の彫刻は確かめられませんでした。

なぜ像が作られなかったのですか。

さまたげる働きそのものを指す語で、定まった姿が立てられなかったためと考えられます。釈迦の生涯を描いた絵のなかに、場面の一部として現れます。

触地印との関わりは何ですか。

天魔が悟りの証人を問うたとき、釈迦が大地に触れて地天を呼び出したとされます。右手を下ろす釈迦如来の手の形は、その場面を写したものです。

天魔は外にいる敵ですか。

魔とは、道を求める心をさまたげる働きそのものを指します。外の敵ではなく、心の内に起こるものとして説かれてきました。

天魔と併せて覚えたい言葉・用語

欲界(よっかい)

欲を離れていない者が住むとされる世界。六つの天がある。

他化自在天(たけじざいてん)

欲界の六つの天のいちばん上。天魔が主とされる。

降魔(ごうま)

釈迦がさまたげる者を退けて悟りに至った場面。